ジョージ・オーウェル「1984年」読書感想文

「どんな世界にもな......『抜け道』ってのがあるんだよ......」

 

物語中盤の酒場のシーンで、主人公ウィンストンと盃を交わしていた自称天才エンジニアが勿体ぶりながら放った、このセリフが印象的だった。彼の存在は、序盤で読者の誰もが逃れられないと思ったビッグ・ブラザーの完全な支配に一矢報いる希望の光を、主人公、そして読者である僕たち自身に授けてくれた。彼は2枚のテレ・スクリーンを向かい合わせに設置することで内部処理のバグを発生させ、監視機能を無力化する術を編み出した。そして、大昔に廃棄された地下ドックで彼が秘密裏に建造した原子力戦艦「ニュークレオン」に主人公の恋人ジュリアを入れて3人で乗り込み、「自由を取り戻すための戦い」が人知れず幕を開ける。

初めのうちはニュークレオンの動力システムの調整不足などが原因で、平和省の鎮圧軍相手に苦戦を強いられる。火器管制システムがダウンして戦闘不能になることも幾度となくあった。しかしそれでも、どんな困難な状況でも諦めないウィンストン、それを信じて支えるジュリア、持ち前の技術と勘で問題を次々と解決していく自称天才エンジニアが力を合わせて逆境を乗り越えていく。3人は戦いの中で大きく成長し、中盤のラストでついに平和省の主力艦隊をニュークレオンたった1隻で撃破する。中盤のこの成長ストーリーは、この部分だけでも長編映画シリーズ並みの厚みがある。

中盤の戦闘で個人的に特に好きな場面は、平和省きっての精鋭である潜水艦隊との戦いである。水面下の見えない敵からの魚雷攻撃に一方的にやられ続けたニュークレオンは、原子炉爆発寸前の大損害を被り、とうとう全動力の停止を余儀なくされる。冷却もままならずいつ爆発するか分からない原子炉を抱え、敵の前でただ浮かんでいることしかできない絶望的な状況。それでも3人は諦めなかった。「こんなこともあろうかと、用意しておいたんだ!」というお決まりの台詞とともに、自称天才エンジニアの工作室の奥から重力波ソナーが運び出される。彼曰く感度が悪くて使い物になるか分からないとのことだったが、そのときは奇跡的に敵の艦影を1隻1隻鮮明に捉えることができた。どうやら艦内の動力が全て停止していることで、かえってソナーにノイズがほとんど乗らなくなったようだ。そして、彼らは艦内に残されていた対潜爆雷をなんと人力で投下した。機械の動力が一切使えないなか、甲板の下に格納されている爆雷を引き上げるだけでも、並大抵の人間にできる所業ではない。彼らの不屈の精神は、僕たち皆に勇気を与えてくれた。

 

終盤冒頭、ニュークレオンは修理のため、ある浅い海域で停泊する。点検のために重力波ソナーのスイッチを入れたところ、彼らは真下の海底に愛情省、真理省、平和省に続く4つ目のピラミッドを偶然発見する。それは1万2000年前に滅んだ超古代文明の遺跡だった。遺跡の中心部に潜入した3人は、超古代文明唯一の遺物であり遺跡そのものの意志が実体化した存在である、女性型ホログラム人形と出会う。彼女との接触により、3人はビッグ・ブラザーの支配に超古代文明オーバーテクノロジーが悪用されていること、そしてそのことを彼女自身が望んでいないことを知る。3人は彼女から授かったオーバーテクノロジーでニュークレオンを宇宙戦艦に改造し、悪しきビッグ・ブラザーを滅ぼすことを決意する。一方それと同時に、遺跡の反応を探知した平和省の残存勢力が大挙してニュークレオンのいる海域に押し寄せてきた。一気に窮地に立たされた3人は、テストもしていないニュークレオンの対消滅エンジンに動力を接続し、ホーミングレーザーで敵の戦闘機を次々と撃墜しながら離水、進空する。この映像はアニメで観たい。

上空から平和省の勢力を圧倒したニュークレオンは、3つのピラミッドがある首都に針路をとる。ニュークレオンの接近に呼応するように3つのピラミッドは地面から上昇し、正八面体の全貌を市民に晒した。それぞれの正八面体はゆっくりと自転しながら細くなり、横倒しになって下の頂点を共有するように三叉状に合体した。遠くで空き缶が転がる音も聞こえてくるような、静かな朝だった。市民が固唾を呑んで見守る上で、ついに正体を表したビッグブラザーの暗黒空中要塞「デウス・ウキス・マキナ」と、3人を乗せた我らの希望、万能宇宙戦艦ニュークレオンが対峙する。鈍いがかつ心地良い重音を唸らせながら空中に静止していたニュークレオンは、風向きが変わったのを契機に、滑らかにゆっくりと横滑りを始めた。と同時に、背負い式に配置されたニュークレオンの3連装主砲が轟音とともに一斉に光条を放ち、戦いの火蓋が切って落とされた。

 

このシーンの戦闘描写は本当に素晴らしい。1984年の同年代に発表されていた「宇宙戦艦ヤマト」「我が青春のアルカディア」などのSFアニメ作品をよく研究したうえで、さらにオーウェル独自の表現技法も盛んに取り入れられているのが伺える。対峙から最終決戦にかけてのシーンは後年の「ふしぎの海のナディア」でのパロディ元になっていることも有名である。ニュークレオンの手に汗握る戦闘シーンもさることながら、作品中盤から一貫して描き出されている「自由のために最後まで戦い抜く」という主人公の精神性は、年頃の少年の心をガッチリと掴んで離さない。当時の時代性に照らし合わせても、この作品に勇気づけられて逞しく社会の海に漕ぎ出していった若者は多かっただろうと想像する。まさしく80〜90年代のSF作品をリードする金字塔的な存在であろう。

 

※この記事は「GUTアドベントカレンダー2021」に参加しています。